2025年02月10日
中野修源さん、経清さん(柔道)インタビュー【第1回】
中野修源さん、経清さん(柔道)インタビュー【第1回】
愛知・名古屋2026のアジア競技大会に向けてアスリートにお話を聞く「ここで、ひとつに。」。
今回は、大会に出場する45の国と地域のうちのフィリピン、日本に2つのルーツを持つ柔道の中野修源さん(28)、経清さん(28)にお会いしました。
東日本大震災でも大きな被害があった岩手県の沿岸部出身の双子アスリートはいま、フィリピン代表としてのアジア大会出場を目指しています。
一見、格闘家には見えないクールでスタイリッシュな佇まいの「中野兄弟」に、柔道を通じて何を表現したいのか、うかがいます。
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(本人提供)
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小学校高学年 全国大会(本人提供) 
中学初期 表彰(本人提供) 
高校県総体 双子決勝(本人提供)
聞き手は金井塚文人が担当しました(年齢は取材時)。
第2回は、愛知・名古屋2026のアジア大会に向けた想いについて聞きます。
愛知・名古屋2026のアジア競技大会に向けてアスリートにお話を聞く「ここで、ひとつに。」。
今回は、大会に出場する45の国と地域のうちのフィリピン、日本に2つのルーツを持つ柔道の中野修源さん(28)、経清さん(28)にお会いしました。
東日本大震災でも大きな被害があった岩手県の沿岸部出身の双子アスリートはいま、フィリピン代表としてのアジア大会出場を目指しています。
一見、格闘家には見えないクールでスタイリッシュな佇まいの「中野兄弟」に、柔道を通じて何を表現したいのか、うかがいます。
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■故郷襲った震災が原点
―お二人はフィリピン代表でアジア大会、オリンピックを目指されています。
経清さん(以下、経) 母がフィリピン人、父が日本人の混血ハーフです。子どものころから毎年数回、母の里帰りでフィリピンに行っていました。私たちは、日本とフィリピンの2つの国籍を持っていたのですが、大学生の時にフィリピン代表でオリンピックを目指すことを決めました。
この夏のパリオリンピックでは、カナダ代表で金メダルを獲った出口クリスタ選手がハーフでしたね。私たちも柔道の世界で、自分たちのようなハーフが活躍する姿を見せたいと思って選手生活を送っています。
―オリンピックを目指すきっかけがあったのでしょうか。
修源さん(以下、修) 最初のきっかけは2011年の東日本大震災でした。我々の実家は岩手県の沿岸にあって、建物は柱だけ残して全部流されてしまいました。周りの人、道場の先輩などで亡くなられた方もいて、その時に「人っていつどうなるか分からない」ということを痛感しました。そこから「後悔しない人生を生きたい」と思うようになりました。
―壮絶な体験ですね。震災はお二人がいくつの時になりますか。
修 中学2年生の時ですね。幸い学校は高台にあったので流されませんでしたが、避難所になり、練習もできず大会にも出られない日々が続きました。
少し復興したころ大会が行われるようになって、地元の人たちが応援にも来てくれました。そのときスポーツの力、スポーツにしかない力を実感しました。
―お二人はフィリピン代表でアジア大会、オリンピックを目指されています。
経清さん(以下、経) 母がフィリピン人、父が日本人の混血ハーフです。子どものころから毎年数回、母の里帰りでフィリピンに行っていました。私たちは、日本とフィリピンの2つの国籍を持っていたのですが、大学生の時にフィリピン代表でオリンピックを目指すことを決めました。
この夏のパリオリンピックでは、カナダ代表で金メダルを獲った出口クリスタ選手がハーフでしたね。私たちも柔道の世界で、自分たちのようなハーフが活躍する姿を見せたいと思って選手生活を送っています。
―オリンピックを目指すきっかけがあったのでしょうか。
修源さん(以下、修) 最初のきっかけは2011年の東日本大震災でした。我々の実家は岩手県の沿岸にあって、建物は柱だけ残して全部流されてしまいました。周りの人、道場の先輩などで亡くなられた方もいて、その時に「人っていつどうなるか分からない」ということを痛感しました。そこから「後悔しない人生を生きたい」と思うようになりました。
―壮絶な体験ですね。震災はお二人がいくつの時になりますか。
修 中学2年生の時ですね。幸い学校は高台にあったので流されませんでしたが、避難所になり、練習もできず大会にも出られない日々が続きました。
少し復興したころ大会が行われるようになって、地元の人たちが応援にも来てくれました。そのときスポーツの力、スポーツにしかない力を実感しました。
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■「ハーフ」の想い
修 その後、大学生になり、フィリピン代表でオリンピックを目指すと決めた頃から、われわれへの強いバッシングが耳に入るようになってきました。ある指導者からは「日本代表から逃げた」と言われ、パワハラと思える行為も受けるようになりました。批判の声に「果たして選んだ道が正しいのか?」と悩む日々が続きました。バッシングはエスカレートして、国際大会の出場も難しくなった時期もありました。
―経験が、今のお二人の活動のモチベーションになっていますか。
修 オリンピックをめざすモチベーションの大きなものに「『ハーフ』アスリートの想いを伝えたい」ということがあります。国籍にこだわらず、一人間として社会が見てくれるように、スポーツの力で、複数のルーツを持つ人たちへの見方を変えていこうというものがあります。
フィリピンでも差別用語はありますが、海外で転戦するようになって外から見ていると、この問題に対する日本社会の感覚は遅れていると感じます。海外に出てみると、日本ほど息苦しくはありません。
「2人の力で差別のあるこの日本を、世界を変えたい」。この想いを知って応援してくれる人たちに、オリンピックに出て柔道で表現するプロセスを通じて、伝えていきたいと思います。
経 日本を拠点にして活動して、SNSなどでメッセージを発信していますが、もちろん批判もあります。社会が簡単に変わっていくものではありません。それでも、応援してくれる人もいて「ありがとう」って声をかけてくれる人もいます。そんな声の裏側には、縁のある人たちが「ハーフ」だったり、在日の外国籍の人だったりするのかもしれません。応援の声をいただくのも、この立場で活動をするモチベーションになります。
応援してくださる方は多くが日本に住んでいます。日本でアジア大会があれば、直接我々の試合も見ていただける。ですから、愛知・名古屋2026は、私たち兄弟にとって活動のプロセスをダイレクトに伝えられる大事な大会になります。我々の活動を見て、「ハーフ」や在日の方をはじめ、いろいろな方に自分の可能性をあきらめない気持ちを見出してほしいです。
修 その後、大学生になり、フィリピン代表でオリンピックを目指すと決めた頃から、われわれへの強いバッシングが耳に入るようになってきました。ある指導者からは「日本代表から逃げた」と言われ、パワハラと思える行為も受けるようになりました。批判の声に「果たして選んだ道が正しいのか?」と悩む日々が続きました。バッシングはエスカレートして、国際大会の出場も難しくなった時期もありました。
―経験が、今のお二人の活動のモチベーションになっていますか。
修 オリンピックをめざすモチベーションの大きなものに「『ハーフ』アスリートの想いを伝えたい」ということがあります。国籍にこだわらず、一人間として社会が見てくれるように、スポーツの力で、複数のルーツを持つ人たちへの見方を変えていこうというものがあります。
フィリピンでも差別用語はありますが、海外で転戦するようになって外から見ていると、この問題に対する日本社会の感覚は遅れていると感じます。海外に出てみると、日本ほど息苦しくはありません。
「2人の力で差別のあるこの日本を、世界を変えたい」。この想いを知って応援してくれる人たちに、オリンピックに出て柔道で表現するプロセスを通じて、伝えていきたいと思います。
経 日本を拠点にして活動して、SNSなどでメッセージを発信していますが、もちろん批判もあります。社会が簡単に変わっていくものではありません。それでも、応援してくれる人もいて「ありがとう」って声をかけてくれる人もいます。そんな声の裏側には、縁のある人たちが「ハーフ」だったり、在日の外国籍の人だったりするのかもしれません。応援の声をいただくのも、この立場で活動をするモチベーションになります。
応援してくださる方は多くが日本に住んでいます。日本でアジア大会があれば、直接我々の試合も見ていただける。ですから、愛知・名古屋2026は、私たち兄弟にとって活動のプロセスをダイレクトに伝えられる大事な大会になります。我々の活動を見て、「ハーフ」や在日の方をはじめ、いろいろな方に自分の可能性をあきらめない気持ちを見出してほしいです。
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聞き手は金井塚文人が担当しました(年齢は取材時)。
第2回は、愛知・名古屋2026のアジア大会に向けた想いについて聞きます。
中野兄弟(なかのきょうだい)プロフィール 岩手県野田村出身の双子で、日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフアスリート兄弟。1996年12月29日生まれ。66㎏級の修源(しゅうげん)さん、73㎏級の経清(けいせい)さんともにフィリピン国籍を有しており、同国代表として国際大会での表彰台経験がある。日本とフィリピンを行き来しながら技を磨く。 2016年のリオデジャネイロ五輪に同国代表として出場した亨道(こうどう)さんは兄。 |