2022年10月07日
【第一回】体操競技との出会いと今の私(2016 リオオリンピック 体操女子 日本代表 寺本明日香さん)
第20回アジア競技大会(2026/愛知・名古屋)開催まで、あと4年!
大会への期待感や準備の状況などインタビューする「ここで、ひとつに。」もリニューアルします。
毎月、幅広い分野の方々にお話を伺い、大会やスポーツを「する・みる・支える」それぞれの視点からどう楽しむのかについてインタビューします。
リニューアル第一回目の今回は、愛知県小牧市出身で2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと2度のオリンピック出場経験のある寺本明日香さん。
2022年4月に競技生活から引退。現在は、至学館大学で体操競技部の監督をされています。
そんな寺本さんへのインタビューを、3回にわたってお送りします。
※写真撮影時のみマスクを外しています。
「ここで、ひとつに。」インタビュー一覧
大会への期待感や準備の状況などインタビューする「ここで、ひとつに。」もリニューアルします。
毎月、幅広い分野の方々にお話を伺い、大会やスポーツを「する・みる・支える」それぞれの視点からどう楽しむのかについてインタビューします。
リニューアル第一回目の今回は、愛知県小牧市出身で2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと2度のオリンピック出場経験のある寺本明日香さん。
2022年4月に競技生活から引退。現在は、至学館大学で体操競技部の監督をされています。
そんな寺本さんへのインタビューを、3回にわたってお送りします。
※写真撮影時のみマスクを外しています。
Q1 2022年4月で選手活動に区切りを付けられましたが、今はどのような心境ですか?
引退した後に最初に考えたのは「セカンドキャリア」についてです。いろいろと他の世界も見てみましたが、やはり一番しっくり来たのは体操の世界でした。今は選手時代からの縁もあり、指導者として活動させていただいています。以前から興味を持っていたことと重なったこともあり、まずはいろいろと学びたいと思っています。
とは言っても9月から指導者としてスタートしたばかりで、まだ1ヶ月も経っていないので、手探りで勉強をさせてもらっているという感覚です。
Q2 現役アスリートの時と比較して、変わったことはありますか?
一番変わったのは「食事」です。
選手の時は食べたいときも、食べたくないときもありましたが、試合や練習に合わせて調節をしていました。
夏は練習後に水分を優先してしまうので、食事をとりたくなくなります。でも、栄養のバランスを考えて、あまり食欲が無くても我慢して食べたりします。逆に冬はついついたくさん食べたくなるのですが、食べすぎないようにしていました。
今はそういった我慢がないので、ある程度は自由に食べています。
引退した後に最初に考えたのは「セカンドキャリア」についてです。いろいろと他の世界も見てみましたが、やはり一番しっくり来たのは体操の世界でした。今は選手時代からの縁もあり、指導者として活動させていただいています。以前から興味を持っていたことと重なったこともあり、まずはいろいろと学びたいと思っています。
とは言っても9月から指導者としてスタートしたばかりで、まだ1ヶ月も経っていないので、手探りで勉強をさせてもらっているという感覚です。
Q2 現役アスリートの時と比較して、変わったことはありますか?
一番変わったのは「食事」です。
選手の時は食べたいときも、食べたくないときもありましたが、試合や練習に合わせて調節をしていました。
夏は練習後に水分を優先してしまうので、食事をとりたくなくなります。でも、栄養のバランスを考えて、あまり食欲が無くても我慢して食べたりします。逆に冬はついついたくさん食べたくなるのですが、食べすぎないようにしていました。
今はそういった我慢がないので、ある程度は自由に食べています。
Q3 選手時代、食事制限は辛くなかったですか?
我慢が辛いというより、食べすぎて体が重たくなってその後の練習がやりにくい、できなくなるほうが辛いので、当たり前という感覚でした。
もちろん、食べたい!と思うときは、スケジュールをみて食べることもありましたが、その後のことを考えると我慢できました。少しでもむくみがあると、パフォーマンスに大きく影響が出てしまうので。
アスリートが摂るべき栄養と、美容にいいとされる栄養が同じなので、アスリートと美容は似ているとよく言われます。ただモデルさんは多少食べなくてもスタイルがよければいいということもありますが、アスリートにはパワーも必要です。程よく炭水化物を摂ったり、意外と多めのタンパク質やその他の栄養をバランスよく量を調節して摂らないと、パフォーマンスに影響が出てしまうので、しっかりと管理します。ストレスがたまると私はカラオケに行ったり、ウインドウショッピングをして、気分転換していました!
Q4 今はどのような食事を楽しんでいますか?
ラーメンやドーナツなど、炭水化物や脂質が多いものを食べることができるのは嬉しいですね。引退後、沖縄旅行に行ったのですが、そこでは沖縄そばとサーターアンダギーを食べたり、インスタ映えするドリンクを飲んだりして楽しみました。
現役時代はどこで何をしていても、体のこと、体操のことは常に意識していたので、罪悪感なく100パーセント食事を楽しめたのは久しぶりでした。
Q5 選手時代は食事に気を遣っていたとのことですが、指導者としては何かありますか?
選手の小さな変化に気付けるように、よくみることを意識しています。例えば、これ以上練習を続けたら怪我をしてしまいそうだと感じたときに、選手の練習を止める勇気、タイミングに気を遣うようになりました。どのような内容で、どのような声掛けを好むのかは、人それぞれ違う部分なので、ひとりひとりに合ったタイミングやタイプを知ることが今の課題です。自分も、タイミングが合うコーチやトレーナーさんのときは、気持ちよくトレーニングすることができたので。
我慢が辛いというより、食べすぎて体が重たくなってその後の練習がやりにくい、できなくなるほうが辛いので、当たり前という感覚でした。
もちろん、食べたい!と思うときは、スケジュールをみて食べることもありましたが、その後のことを考えると我慢できました。少しでもむくみがあると、パフォーマンスに大きく影響が出てしまうので。
アスリートが摂るべき栄養と、美容にいいとされる栄養が同じなので、アスリートと美容は似ているとよく言われます。ただモデルさんは多少食べなくてもスタイルがよければいいということもありますが、アスリートにはパワーも必要です。程よく炭水化物を摂ったり、意外と多めのタンパク質やその他の栄養をバランスよく量を調節して摂らないと、パフォーマンスに影響が出てしまうので、しっかりと管理します。ストレスがたまると私はカラオケに行ったり、ウインドウショッピングをして、気分転換していました!
Q4 今はどのような食事を楽しんでいますか?
ラーメンやドーナツなど、炭水化物や脂質が多いものを食べることができるのは嬉しいですね。引退後、沖縄旅行に行ったのですが、そこでは沖縄そばとサーターアンダギーを食べたり、インスタ映えするドリンクを飲んだりして楽しみました。
現役時代はどこで何をしていても、体のこと、体操のことは常に意識していたので、罪悪感なく100パーセント食事を楽しめたのは久しぶりでした。
Q5 選手時代は食事に気を遣っていたとのことですが、指導者としては何かありますか?
選手の小さな変化に気付けるように、よくみることを意識しています。例えば、これ以上練習を続けたら怪我をしてしまいそうだと感じたときに、選手の練習を止める勇気、タイミングに気を遣うようになりました。どのような内容で、どのような声掛けを好むのかは、人それぞれ違う部分なので、ひとりひとりに合ったタイミングやタイプを知ることが今の課題です。自分も、タイミングが合うコーチやトレーナーさんのときは、気持ちよくトレーニングすることができたので。
Q6 寺本さんは、いつから体操をやりはじめたのですか?
体操に出会ったのは、小学1年生のおわり頃です。
きっかけは、近所の公園で鉄棒をやっていたことなんです。あまり覚えていないのですが、母親に私が「鉄棒が習いたい」と言ったそうです。
そこで、母親がいろいろと調べて連れていってくれたのが新体操の教室でした。実際に通ってみると、柔軟や踊ったりする内容で、ちょっと違うな~(笑い)と思いました。
新体操教室の先生が体操教室を紹介してくださり、私の体操人生がスタートしました。
Q7 体操を辞めたいと思ったことはありますか?
実は2回だけあります。それは小学校3年生と5年生のときです。
通い始めたときに同じ教室の子と上手くなじめず、そこで教室に行くのが嫌になりました(笑い) 今振り返ると可愛いな~という内容ですが、当時はとても泣き虫だったので、本気で辞めたい!と言っていました。母親や先生がいろいろと相談を聞いてくれたので、辞めずに続けることができました。
その子とは、今でも食事に行くほど仲良しです。
小学校5年生の時は怪我がきっかけで辞めたいと思いました。
練習中に足首の靭帯を損傷してしまい、足首の内側ということもあってその怪我が長引いてしまいました。
ちょうど、西日本ジュニア大会に向けて準備をしていたときだったので、痛いのを我慢するのが嫌で…。それにもう怪我が治らないんじゃないかという不安もありました。
西日本ジュニア大会が終わったら辞めようと、母親と話していました。でも、そこで全日本ジュニアに進出してしまったんですよね(笑い)
なので、その次の全日本ジュニアの大会が終わったら体操を辞めようという話になったのですが、そこでも平行棒で優勝することができたので、自信もついて辞めたいと言わなくなりました(笑い)
優勝したのは運も良かったと思います。当時のルールが減点方法で、難しい技をするよりも「いかにミスをしないように美しく演技するか」が大切でした。側転など今では考えられないような簡単な技も入れていましたが、ミスなく演技することで高得点をとることができました。ただ翌年からはルールが変わって、技の難易度と減点を組み合わせた採点方法になったので、もし、ルールが変わるのが1年早ければ優勝できずに体操は辞めていたと思います。
翌年の小学校6年生では怪我も克服し全日本ジュニアの個人総合で優勝しました。
体操に出会ったのは、小学1年生のおわり頃です。
きっかけは、近所の公園で鉄棒をやっていたことなんです。あまり覚えていないのですが、母親に私が「鉄棒が習いたい」と言ったそうです。
そこで、母親がいろいろと調べて連れていってくれたのが新体操の教室でした。実際に通ってみると、柔軟や踊ったりする内容で、ちょっと違うな~(笑い)と思いました。
新体操教室の先生が体操教室を紹介してくださり、私の体操人生がスタートしました。
Q7 体操を辞めたいと思ったことはありますか?
実は2回だけあります。それは小学校3年生と5年生のときです。
通い始めたときに同じ教室の子と上手くなじめず、そこで教室に行くのが嫌になりました(笑い) 今振り返ると可愛いな~という内容ですが、当時はとても泣き虫だったので、本気で辞めたい!と言っていました。母親や先生がいろいろと相談を聞いてくれたので、辞めずに続けることができました。
その子とは、今でも食事に行くほど仲良しです。
小学校5年生の時は怪我がきっかけで辞めたいと思いました。
練習中に足首の靭帯を損傷してしまい、足首の内側ということもあってその怪我が長引いてしまいました。
ちょうど、西日本ジュニア大会に向けて準備をしていたときだったので、痛いのを我慢するのが嫌で…。それにもう怪我が治らないんじゃないかという不安もありました。
西日本ジュニア大会が終わったら辞めようと、母親と話していました。でも、そこで全日本ジュニアに進出してしまったんですよね(笑い)
なので、その次の全日本ジュニアの大会が終わったら体操を辞めようという話になったのですが、そこでも平行棒で優勝することができたので、自信もついて辞めたいと言わなくなりました(笑い)
優勝したのは運も良かったと思います。当時のルールが減点方法で、難しい技をするよりも「いかにミスをしないように美しく演技するか」が大切でした。側転など今では考えられないような簡単な技も入れていましたが、ミスなく演技することで高得点をとることができました。ただ翌年からはルールが変わって、技の難易度と減点を組み合わせた採点方法になったので、もし、ルールが変わるのが1年早ければ優勝できずに体操は辞めていたと思います。
翌年の小学校6年生では怪我も克服し全日本ジュニアの個人総合で優勝しました。
Q8 体操を辞めたいと思ったのはその2回だけですか?
はい、あとは電車に乗るのが嫌で、通いたくない!と言ったことはあったのですが、体操自体を嫌いになったことはありませんでした。
運やめぐりあわせもあるとは思いますが、体操が嫌になることは無かったので、今も続けていられるのだと思います。
Q9 地元愛知県を活動拠点したのは、どのような理由でしょうか?
暮らしの環境を変えたくなかったのと、私の体操生活を支えてくれた人たちも多いからです。
長年指導してくださったコーチの皆さんとは、いろいろと言い合える関係です。
当時は、反抗期みたいにアドバイスを受けることが億劫な時期も正直言ってありました…。
「あの時、コーチにもらったアドバイスはこういうことなのかぁ」と、指導者になった今ならよくわかります(笑い)
はい、あとは電車に乗るのが嫌で、通いたくない!と言ったことはあったのですが、体操自体を嫌いになったことはありませんでした。
運やめぐりあわせもあるとは思いますが、体操が嫌になることは無かったので、今も続けていられるのだと思います。
Q9 地元愛知県を活動拠点したのは、どのような理由でしょうか?
暮らしの環境を変えたくなかったのと、私の体操生活を支えてくれた人たちも多いからです。
長年指導してくださったコーチの皆さんとは、いろいろと言い合える関係です。
当時は、反抗期みたいにアドバイスを受けることが億劫な時期も正直言ってありました…。
「あの時、コーチにもらったアドバイスはこういうことなのかぁ」と、指導者になった今ならよくわかります(笑い)
私は、競技者として「体操」に取り組んできましたが、スポーツを通じて、多くの素晴らしい出会いがあり、貴重な経験を積むことができました。 皆様もスポーツに親しむことで、人生がより豊かになるといいなと思います!
「ここで、ひとつに。」インタビュー一覧