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2024年03月19日

【第二回】輝かしい成績は苦しい道のりの先に生まれた結果。挑み続ける経験こそが成長の糧に(東京2020オリンピック バスケットボール女子 銀メダリスト 髙田真希選手)



バスケットボールの名門高校で、ビッグタイトル三冠という栄冠を収め、鳴り物入りで地元・愛知県をホームタウンとする女子日本トップリーグのチームへ加入した髙田真希選手。1年目からルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれると、日本代表にも選出。国際舞台での経験を重ね、2018年には日本代表キャプテンに就任します。

東京2020オリンピックでは、日本バスケットボール界初となる銀メダルを獲得するなど、順風満帆に見える髙田選手の歩み。

しかしその陰には、うれしい出来事を語り継ぐよりも、成功に至るまでの苦しい経験こそ糧として胸に刻むという髙田選手ならではの哲学と強い精神力がありました。

第二回のインタビューでは、日本女子バスケットボール界の大黒柱として活躍を続ける髙田選手の思いをうかがいます。






 
Interviewer
憧れの日本代表に選ばれたときの心境は?

髙田真希選手
中学2年生のときに2004年アテネオリンピックをテレビで観てから、ずっと日本代表をめざして頑張ってきたので、選ばれたときは心底うれしかったですが、厳しさも大いに体感しましたね。代表はベテランから若手まで年齢幅も広く、当然ながら上手な人ばかり集まっているので、自分に足りない部分を突き付けられることばかりでした。
代表では試合に出る機会が限られていて、声がかかるときは大抵、試合の勝敗に影響がないような残り時間わずか数分、数十秒というタイミングばかり。ドリンクを作ったりタオルを用意したりというサポートが主な役割でしたね。裏方を続けながら、いつ呼ばれても良いように準備だけはしておくという期間が数年、続きました。

Interviewer
代表の一員として戦える自信がつくまでは、どのように努力を重ねていったのですか?

髙田真希選手
世界のトッププレーヤーは身長も高くてフィジカルも強い選手ばかり。身体が当たっただけで尻もちを付いてしまうなど、世界とのレベルの差を見せつけられました。
世界で活躍することの難しさを噛みしめながらも、立ち止まってはいけないと自分に言い聞かせ、他国の選手から学べること、自分には足りない部分を必死に吸収しました。日本に帰国したら弱点の克服に取り組み、リーグ戦でプレーに磨きをかけていくということの繰り返しです。そうしているうちにいつしか自分自身のプレーの幅が広がり、経験値が蓄積されていきました。

Interviewer
国際舞台の中で、印象に残っている大会は?

髙田真希選手
2012年ロンドンオリンピックへの出場権をかけた最終予選です。その頃には私自身、日本代表の中でもスターティングメンバ―として中核を担っていたので「絶対にオリンピックに出場する」という強い意志と責任感を持ってトレーニングにも励み、全身全霊を込めて挑んでいました。
しかし最終戦の結果は、僅差で敗退。オリンピックへの切符を逃したという悔しさと絶望感、脱力感からしばらくは練習をする気持ちも湧いてきませんでした。
さらに追い打ちをかけるように、チームでの練習に復帰した直後、足を骨折してしまったんです。ようやく気持ちを切り替えようと思い始めた矢先の故障により、そのシーズンを棒に振ってしまいました。







 
Interviewer
輝かしい過去ではなく、辛い体験を挙げられるのもストイックな髙田選手らしいお答えですね。

髙田真希選手
高校時代の全国大会三冠や東京2020オリンピックの銀メダルなど、もちろんうれしい思い出もたくさんあります。でも、すべては苦しい道のりの先に生まれた結果であって、もがき苦しんだ経験が自分を成長させてくれたからこそ、輝かしい成績につながったのだと思っています。
華々しい成果や成功談を語るよりも、今は、結果にたどり着くまでに経験した苦しい時間を伝えていきたいと思っています。苦境を乗り越えるために挑み続けてきた姿を知ってもらうことで、今うまくいかないことがある人や頑張っている方が、一歩を踏み出すきっかけになればうれしいですね。

Interviewer
海外遠征で楽しみにしていることはありますか?

髙田真希選手
その土地ごとの食べ物ですね。外食する機会が取れないときも、現地のスーパーに足を運び、お菓子などを探すのが楽しみです。まだ日本に出回っていないチョコレート菓子などを見つけるとちょっとした優越感もありますし、お土産に買っていくことも多いですね。

Interviewer
日本に帰ってくると必ず食べたくなるものは?

髙田真希選手
焼肉ですね!帰国後は必ずと言っていいほど、大好物の焼肉が食べたくなります。





 
Interviewer
所属チームでも日本代表でもキャプテンを務められています。リーダーとして心境の変化はありましたか?

髙田真希選手
幼い頃から人前で話したり、先頭に立って引っ張って行ったりということは苦手でした。2017年に所属チームのキャプテンを任されたときも、人生初のキャプテン経験だったので戸惑うことがたくさんありましたね。
ただ、目標を達成するためには、自分自身の性格に囚われていてはいけないと気持ちを切り替えたんです。勝つために必要だと思うことは積極的に伝えていこうと考えるようになりました。
その思いは日本代表のキャプテンを命じられたときも変わりません。もちろん言葉だけではなく、練習や試合のプレーを通じて、自分自身の行動で示していかなければ説得力がありません。
チームを引っ張っていくために、コミュニケーションと有言実行を大切にしています。








 
Interviewer
髙田選手が感じる、世界で活躍するトッププレーヤーの共通点とは?

髙田真希選手
バスケットボールが大好きということでしょうか。好きだからこそ他国の選手のプレーを研究しようという意欲も湧くし、それを自分のものにするために貪欲に努力を重ねることができる。今でこそ動画やSNSなどで海外選手のプレーを気軽に観ることができますが、少し前まではテレビ放映もほとんどなく、海外の試合を目にする機会はごく限られていました。
だからこそ、国際舞台に出たときには、自分自身がプレーすることのみならず、他の選手のプレーを目の当たりにできることが貴重な経験になりました。
いかに多くのことを吸収できるか。それを自分のプレーとして実践できるようにどれだけトレーニングを積むかが、アスリートとして成長し続けるために重要なのだと思います。






 

もちろんうれしい思い出もたくさんあります。でも、すべては苦しい道のりの先に生まれた結果であって、もがき苦しんだ経験が自分を成長させてくれたからこそ、輝かしい成績につながったのだと思っています。

苦境を乗り越えるために挑み続けてきたことを知ってもらうことで、今うまくいかないことがある人や頑張っている方が、一歩を踏み出すきっかけになればうれしいですね。





高校時代の全国大会三冠や東京2020オリンピックの銀メダルなど、輝かしい足跡に注目が集まりがちな髙田選手。しかしその陰には、2012年ロンドンオリンピックへの出場権をかけた最終予選での敗戦という屈辱、故障による絶望感など、幾多の苦境がありました。

苦しい状況から何を得るか、いかに次のステップへとつなげるか。その強い精神力で困難を乗り越えて進化を続けながら、さらには日本代表のキャプテンとしてチームを牽引し、オリンピックの決勝の舞台へと導いたのです。

第三回は、愛知県出身の髙田選手に、愛知県への郷土愛や、地元で開催される愛知・名古屋アジア競技大会に寄せる思いについてうかがいます。


<第三回 2024年3月26日(火曜日)掲載記事につづく>