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2024年02月13日

【第一回】20歳で金メダリストに。達成感と空虚感の狭間で見つけた糸口は、目の前の役割を全うすること(東京2020オリンピック・第19回アジア競技大会 ソフトボール女子 金メダリスト 後藤希友選手)


東京2020オリンピックでは、チーム最年少として日本代表入りを果たし、金メダルの栄冠を手にしたソフトボール女子・後藤希友選手。

愛知県名古屋市に生まれ、幼い頃から運動が大好きで活発な子どもだったそうです。中学校でソフトボール部に入部すると、めきめきと頭角を現し、ソフトボールの名門高校へ進学。高校3年生で日本代表に選ばれるなど国際大会での経験も重ね、ソフトボール選手として順調にステップアップをしてきました。

そして、鮮明に記憶に刻まれている東京2020オリンピックでの好投、歓喜の優勝――。アスリートとして華々しい活躍を続ける後藤選手ですが、その陰には、若くして頂点を見たがゆえの苦悩と葛藤があったのです。

第一回のインタビューでは、幼少期の思い出から、今シーズンのリーグ戦で二刀流に挑戦した心境まで、本音で語ってくださいました。





 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

後藤希友選手
皆さんの想像通りかもしれないのですが、運動場を走り回ってばかりいる、活発な子どもでした。性格的にもちょっとやんちゃで、先生に怒られることも時折ありましたね。

Interviewer
ソフトボール以外で、夢中になっていたことはありますか?

後藤希友選手
算盤やピアノ、スイミングなどスポーツに限らず、習い事ざんまいでした。毎日のように習い事の予定が詰まっていて、一つひとつに対して楽しかったとか辛かったとか、自分ではあまり記憶がないんです。

おそらく私にマッチすることや得意なことを見出せるように、両親がいろいろ通わせてくれたのだと思います。

Interviewer
ソフトボールとの出会いは?

後藤希友選手
小学4年生の時から始めた部活動です。通っていた小学校の部活動は、春夏と秋冬の2シーズン制だったので、春夏はソフトボール、秋冬はバスケットボールに打ち込みました。ソフトボールは仲の良かった先輩や顧問の先生に誘われて入ったので、それほど強い思い入れはなかったですね。むしろ、バスケットボールの方が好きなくらいでした。





 
Interviewer
ソフトボールに力点を置くようになったタイミングは?

後藤希友選手
中学校に入学して、部活動を一本に絞らなくてはいけないという時ですね。実は私が進んだ中学校のソフトボール部の顧問の先生がとても熱心な方で、地元の小学生を大勢集めて週末などにソフトボールの講習会を開催していたんです。

その講習会に、私も小学4年生の時から参加していたことがきっかけで、中学校に入って早々、先生から入部の勧誘がありました。深く考えることなく、誘われるがままソフトボール部に入部したという感じです。

Interviewer
ソフトボールに惹かれたポイントは?

後藤希友選手
明確な理由はあまりないんですよね。気づいたら自然な流れで続けていたという感じです。ただ、腕が長くて左利きだった点は、ソフトボールに適していたのかもしれません。

続けていく中で、空振り三振を取った時の快感や、自分の記録を自分で更新した時の達成感、気持ちが昂る瞬間を一つひとつ積み重ねるうちに、いつの間にかのめり込んでいったという感覚です。

Interviewer
後藤選手といえば、ソフトボールでは珍しいサウスポー投手ですが、箸を持つ手や文字を書くのもすべて左利きですか?

後藤希友選手
基本的には左利きですが、両方できることが多いです。ボール遊びも、小学校低学年までは右で投げていました。

ただ、小学4年生で部活動に入る時、母親から「もともと左利きなのだから、左投げにしたら?」とアドバイスをもらい、それ以来左投げ左打ちで通しています。





 
Interviewer
高校時代から日本代表に選抜されるなど、順風満帆に見える後藤選手の歩み。ソフトボール人生の中でスランプはありましたか?

後藤希友選手
メンタル面でのスランプとして一つ挙げるならば、東京2020オリンピックで金メダルを獲得した後でしょうか。

すごくうれしくて達成感に満たされたのですが、良い成績を残したがゆえに、周囲からの今後にかける期待が膨らんでいくのを感じてしまって。その期待に応えていけるのだろうかという不安が大きくなってしまったんです。

プレッシャーに押し潰されそうになり、今後の自分に対して自信を喪失し、目標を見失いかけてスイッチを入れられなくなってしまいました。どうやってモチベーションを高めていこうかと試行錯誤する日々が続いて、正直な気持ちを言えば、今も完全に脱出できたわけではなく模索中です。

Interviewer
手探り状態の中で、糸口を見つけるために工夫したことはありますか?

後藤希友選手
とにかく自分に与えられた目の前の役割を全力で果たそうと、そのことだけに集中しました。先を見すぎず、今できること、今の自分の力をすべて注ごうと思って一試合一試合積み重ねていく中で、結果が付いてきてくれた感じです。




 
Interviewer
今シーズン、所属チームで二刀流に挑戦されたこともその一つですか?

後藤希友選手
それも試行錯誤の一つです。バッティングをしている時は、純粋に楽しいという感情が湧いてきて、すごく前向きな気持ちになれるんです。気分転換というわけではありませんが、メンタル面でピッチングに対してもすごく良い影響を及ぼしていると思います。










 

メンタル面でのスランプは、東京2020オリンピックで金メダルを獲得した後。すごくうれしくて達成感に満たされたのですが、良い成績を残したがゆえに、周囲からの今後にかける期待が膨らんでいくのを感じてしまって。その期待に応えていけるのだろうかという不安が大きくなってしまったんです。

プレッシャーに押し潰されそうになり、今後の自分に対して自信を喪失し、目標を見失いかけてスイッチを入れられなくなってしまいました。





小学4年生からソフトボールを始め、高校3年生で日本代表入り。20歳という若さでオリンピックの金メダリストになるなど、誰もが羨むシンデレラストーリーを歩んできた後藤希友選手。しかしニューヒロインとして注目を浴びた彼女を待ち受けていたのは、次世代エースに期待を寄せる、大きすぎるプレッシャーだったのです。

目の前の役割に集中し、二刀流に挑戦するなどもがき苦しみながらも、自分自身やソフトボールと真摯に向き合う後藤選手の姿には心を打たれます。

第二回は、どのようにそのプレッシャーと向き合ってきたのかを直撃。また、若くして国際大会での経験豊富な後藤選手に、印象深いエピソードや海外ならではの楽しみもうかがいます。


<第二回 2024年2月20日(火曜日)掲載記事につづく>