本文へジャンプします。

IMAGINE ONE ASIA

ここで、ひとつに。

  1. ホーム
  2. ここで、ひとつに。
  3. 【第一回】今でも転ぶのは怖い。でも仲間がいるから挑む勇気が湧いてくる(2022年SLS WORLD TOUR IN JACKSONVILLE 2位 織田夢海選手)

2023年12月12日

【第一回】今でも転ぶのは怖い。でも仲間がいるから挑む勇気が湧いてくる(2022年SLS WORLD TOUR IN JACKSONVILLE 2位 織田夢海選手)



東京2020オリンピックで新種目として注目を集め、日本人選手の活躍によって脚光を浴びたスケートボードのストリート。
街中にある手すりや階段などを模したコースで、さまざまなトリック(技)を繰り出し、その難易度や完成度などを競います。

愛知県名古屋市で生まれ育ち、7歳からスケートボードを始めた織田夢海選手。小学生の頃から世界大会に参加して活躍するなど瞬く間に頭角を現し、今や世界が認めるトップスケーターとしての実力を誇っています。

高校生らしいはにかんだ表情を見せる織田選手が、どのようにスケートボードと出会い、のめり込んでいったのか。そして小柄な身体を目一杯躍動させ、
観る人を魅了するエキサイティングな滑りを生み出す原動力とは?

第一回のインタビューでは、幼い頃の話や織田選手が思うスケートボードの魅力をうかがいました。



 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

織田夢海選手
あまり覚えていないのですが、昔から負けず嫌いな性格だったと思います。

Interviewer
スケートボードを始めたのは何歳の時ですか?

織田夢海選手
7歳の時です。冬にスノーボードを何度か経験したのですが、暖かくなってシーズンオフになるとスノーボードはできなくなりますよね。そこで、叔父が「スケボーでもやってみたら?」と勧めてくれて。自宅の近くにあるスケートボードのパークでスクールを開いていたので、気軽な気持ちで体験しに行ったのがきっかけです。

Interviewer
両親など身近な方の中に、スケートボードの経験者がいらっしゃったのですか?

織田夢海選手
父はサーフィンをやっていましたが、スケートボードは未経験。私に勧めてくれた叔父も、スケートボードには馴染みがなかったようです。

Interviewer
初めて滑った時の感覚は覚えていますか?

織田夢海選手
とにかく怖かったです。最初はストリートではなくてランプ(楕円形を半分に切ったようなセクション)から始めて、スクールのコーチに手を引いてもらいながら坂を下りるのですが、転ぶのが怖くて恐る恐る滑っていたことを覚えています。今でも、転ぶのは怖いですけどね(笑)。

Interviewer
お姉さんと弟さんはスケートボードを始めなかったのですか?

織田夢海選手
姉と弟も一緒にスクールに通い始めました。でも姉は学校の部活動が忙しくなり、弟はサッカーにはまっていき、2人ともスケートボードから離れてしまいました。




 
Interviewer
最初は怖かったスケートボードに、織田選手がのめり込んでいった理由は?

織田夢海選手
怖いながらも、負けず嫌い精神を発揮してチャレンジするうちに、少しずつできることが増えていくのが楽しかったですね。

ある時、コーチの勧めで大会に出場してみたんです。そうしたら思いがけず良い成績を残すことができて、勝つ喜びを味わったことで次々と大会に出るようになりました。「もっと上手になりたい!」という気持ちが強くなって、気が付いたらとりつかれていました。

Interviewer
性格や身体能力など、スケートボードに向いていると感じるポイントはありますか?

織田夢海選手
ただ楽しくて続けてきただけです。素質とかセンスとかは全然関係ないと思います。私は体も硬いし、体力もないし。だから最近は、体力づくりと下半身強化のために、毎日3kmのランニングを日課にしています。

Interviewer
スケートボードをやっていて良かったと思う瞬間は?

織田夢海選手
もちろん大きな技が決まった時はすごくうれしいです。でも、スケートボードを通じて友だちがたくさんできたことや、成功した時に一緒に喜んでくれる仲間がいることも、スケートボードを続けてきたからこそ得られた宝物だと思います。

Interviewer
織田選手が思うスケートボードの醍醐味は?

織田夢海選手
スケートボード特有なのかもしれませんが、普段はライバル関係でも、選手同士が励まし合ったり称え合ったりする雰囲気があるところです。

技に挑む時は、他の選手も観客も一緒になってみんなで盛り上げてくれるので、勇気が湧いてきます。会場の一体感に包まれた時は、すごく快感ですね。



 
Interviewer
学業と練習の両立で大変だと感じることはないですか?

織田夢海選手
通信制の高校に在籍しているので、学校に行くのは決められた登校日の時だけです。平日は平均2~3時間、週末はほぼ1日中、スケートボード中心の生活を送っているので、両立を大変だと感じることはあまりないです。

地元にいる時は若宮大通公園にある若宮スケートパークか庄内緑地のスケートパークが拠点ですが、週末には関東のパークなどへ行くことも多いです。

Interviewer
もしスケートボードに出会っていなかったら、今どんな日々を送っていたと思いますか?

織田夢海選手
女子高校生として、友だちと日々楽しく過ごしながら、高校生活を謳歌していたと思います!






 
Interviewer
調子が上がらない時や思うような成績が出ない時、どのように気持ちを切り替えていますか?

織田夢海選手
一度スケートボードから離れることですね。好きな場所や気になっている所に行って思いきり遊びます。この間も友だちとおでかけして、おいしいものを食べて、リフレッシュしました。

でも一番の特効薬は練習かもしれないですね。ランニングをしたり、練習に打ち込んだりしている間は深く考えなくて済むので、夢中になっているうちにいつの間にか吹っ切れていることが多いです。








 

昔から負けず嫌いな性格は変わっていません。ただ楽しくて続けてきただけで、素質とかセンスとかは関係ないと思います。 選手同士が励まし合ったり称え合ったりする、スケートボード特有の雰囲気が好きで、選手と観客が一緒になって盛り上げる、会場の一体感はすごく快感です。





叔父の勧めで始めたスケートボード。恐怖心を抱きながらも、持ち前の負けず嫌い精神を発揮し、果敢にチャレンジを繰り返すなかで成功体験を積み重ねていったようです。

共に励まし合い、称え合う仲間から勇気をもらい、スケートボードならではのカルチャーの中で、楽しく伸びやかにステップアップしてきた織田選手。

第二回は、小学6年生で参加した国際大会のデビュー戦で金メダルに輝くなど、世界のトップスケーターへと駆け上がってきた織田選手の飛躍にフォーカス。世界を転戦する織田選手の舞台裏エピソードなどもお届けします。



<第二回 2023年12月19日(火曜日)掲載記事につづく>