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2023年11月21日

【第二回】世界で勝つために渡欧。現地の言葉を使うことで見えた強豪国のイズム (2016年リオデジャネイロオリンピック カヌー・スラローム男子 銅メダリスト 羽根田卓也選手)


「最初はあまり好きではなかった」とカヌーとの思い出を振り返った羽根田卓也選手。小学6年生の時に出会ったドイツ人コーチの言葉をきっかけに、カヌーの面白さに目覚め、いつしか世界で戦えるカヌー選手になることが目標になりました。

そして中学、高校とトレーニングを重ね、日本のトップジュニアとしての成果を引っ提げて、カヌーの強豪であるヨーロッパの環境へと飛び込むことに。しかしそこで待っていたのは、日本人カヌー選手の先駆者として突き付けられた、孤独で厳しい道のりでした。

第二回は、長く海外を拠点に戦ってきた羽根田選手が感じる、海外挑戦で結果を残すために必要なことや、世界を舞台に戦うためのメンタルなど、豊富な海外経験についてインタビュー。さらに、2016年リオデジャネイロオリンピックで銅メダルに輝くまでの心境の変化なども明かします。


 
Interviewer
世界との最初の接点はいつですか?

羽根田卓也選手
中学3年生の時に出場したジュニアの世界選手権です。初めての海外遠征となった国際大会で、世界中から集まるトップクラスの選手たちのレベルの高さに“ビビッ”と電気が走るような衝撃を覚えました。

この世界大会の舞台で、トップクラスの選手との実力差を目の当たりにしてからは、勝つために自分には何が足りないのかを必死に考えるようになりました。帰国後は、練習メニューも自分で組み立てるようになり、諸先輩にアドバイスを求めに行くなど、カヌーと向き合う姿勢も練習に臨む心境も、大きく変わりましたね。

Interviewer
羽根田選手が思う、他の競技とは異なるカヌーの難しさや醍醐味とは?

羽根田卓也選手
自然を相手にする競技であるという点ですね。実際の国際大会は人工コースで行われるので、本当の意味で自然界と向き合うということではないのですが、陸上や体育館で戦う競技とは異なり、水の上という不確定な物をフィールドとして戦わなくてはいけない競技です。

たとえ人工のコースであっても、水の流れや動きは決して自分のコントロールが効くものではありません。だからこそ、水の呼吸を感じ、水をつかみ、本当の意味で水と友だちになれた瞬間の快感というのは、他の競技では得難い気持ちよさがあると思います。

Interviewer
高校卒業後は単身スロバキアへ渡られました。海外を意識するようになったきっかけは?

羽根田卓也選手
高校3年間は「世界で勝ちたい!」という一心でカヌーに打ち込みました。おそらく競技の枠を超えて、日本全国の高校生の中で誰にも負けないトレーニングをしたという自負心が生まれるくらい、常にカヌーのことを考え、勝つための練習に高校時代のすべてを費やしました。

そして、満を持して臨んだ高校3年生の時のジュニアの世界大会。「絶対に表彰台に上る!」と強い決意で挑んだのですが、メダルには手が届きませんでした。

その時「これほど時間も心もすべてを捧げて挑んでも勝つことができないのはなぜだろう?」と悩みました。トレーニングや努力の量では劣っていないはずなのに、このまま日本にいては、これ以上勝てる理由が見つからないと思ったんです。

当時、まだ日本には人工のカヌーコースがなかったこともあり、競技としてのカヌーで勝つためには、日本では限界があると感じました。ここから先は努力の量ではなく、どこで努力をするかにかかっている、環境を選ばなくてはいけないのだと感じてヨーロッパに渡ることを決意しました。


 
Interviewer
スロバキアを選んだ理由は?

羽根田卓也選手
カヌーの強豪国としての伝統があり、尊敬している選手がいる地だったことから、新天地としてスロバキアを選んだのですが、最初は厚い壁を感じました。

スロバキア人は、開放的でフレンドリーな雰囲気というよりは、どちらかといえば他人に対して警戒心が強い方が多いんです。初めて現地のクラブチームへ挨拶に行った時も「ウェルカム」というムードは一切なくて、静まり返った中で挨拶する僕に対して頭のてっぺんからつま先まで、厳しい目付きで見回すような感じでした。さすがに最初の数週間は寂しくて、ホームシックになりましたね。

Interviewer
どのようにしてコミュニケーションを深めていったのですか?

羽根田卓也選手
コーチとは英語でやりとりをしていたのですが、そのコーチが実は、それほど英語が得意ではなかったんです。だから現地の選手に対してはスロバキア語で丁寧に指導しているのに、僕に対する英語での説明は一言、二言で終わりという状況でした。これは明らかに機会損失だと思い、翌日からペンとメモ帳をポケットに入れて、スロバキア語の単語を片っ端からメモして覚えていったんです。

そうするとコーチが説明している内容がわかるようになるだけではなく、チームメイトたちが「あの日本人、スロバキア語を話し始めたぞ」って面白がってくれて、徐々に話しかけてくれるようになりました。

覚えたばかりの単語なので、おかしな意味合いで使ってしまったり、間違えて汚い言葉を使ってしまったりすることも多いですよね。でも逆にチームメイトがそれを大笑いして、茶化してくれるようになると、ぐんぐんコミュニケーションが広がっていきました。

日本語から引けるスロバキア語の辞書が見つからなかったので、自作のメモ帳だけを頼りに独学で勉強を続けて、1年くらい経った頃には会話に困らなくなっていました。

Interviewer
その後、スロバキアの中でも難関と言われる大学に入学されました。

羽根田卓也選手
スロバキアに渡って3年くらい経った頃、本格的に大学への進学を考え始めました。選択肢として日本の大学進学も考えたのですが、帰国することによってカヌーの練習が滞ってしまうリスクを背負うことが怖くて、すごく悩みました。その頃は「日本の空気を吸ったら弱くなる!」と自分に言い聞かせて、一時帰国も敬遠していたほどでした。

そんな時、スロバキアの兄貴的な存在の選手が「卓也の語学力ならスロバキアの大学に入れるから、俺を信じろ!」と言って入試や入学にあたっての手続きなどいろいろとサポートしてくれたんです。僕自身、最初は無理だろうなと思っていたのですが、彼が自信を与えてくれたおかげで、入学することができました。


 
Interviewer
今は海外へ渡るアスリートも増えていますが、海外挑戦で結果を残すためのアドバイスはありますか?

羽根田卓也選手
僕のように現地の大学へ通うというケースは稀だとは思いますが、その競技の本場や伝統国で戦うのであれば、現地の言葉を話し、現地のことを深く知ることはすごく重要だと思います。

言葉の持つ力というのはすごく大きくて、たとえば英語という共通語を使えば、ある程度の意思疎通はできるし、テクニック的なことは吸収できると思うんです。でも、その国の選手がなぜ強いのか、強豪であり続けるための背景につながるような深い所まで理解することはすごく難しいですよね。

きっと彼ら自身も、イズムやフィロソフィーのような部分は英語や他の言語には置き換えられないと思うんですよね。彼らの母国語を話すことでしか分かち合えない、共有できないことがあるのではないでしょうか。

Interviewer
印象に残っている国際大会についてお聞かせください。

羽根田卓也選手
一番思い出深いのは、メダルを獲得した2016年リオデジャネイロオリンピックです。あのシーズンはすごく調子が良くて、僕自身「あわよくばメダルも!」と表彰台が視野に入っていました。でも心のどこかで、もし今回メダルが取れなくても、4年後に決まっていた2020年東京オリンピックでチャンスがあるかなという思いもありました。

そんな時、僕のトレーニングパートナーを務めてくれていたスロバキアの選手が、僕の心を見透かしたかのように「東京まで待つなよ、この大会で必ずメダルを獲ってこい」と激励してくれたんです。

彼は僕がずっと憧れていた選手なのですが、実は選考の結果リオデジャネイロオリンピックの出場権を逃していたのです。そんな状況でありながらも僕のトレーニングパートナーを買って出てくれて、現地にも応援に来てくれました。あの一言で気持ちが引き締まったと思います。



 
 
Interviewer

世界大会など、重要な決戦に挑む際のルーティンがあれば教えてください。

羽根田卓也選手
ルーティンをつくらないことが、僕のルーティンです。

カヌーという競技特性も関係しているのですが、水という再現性のないフィールドで戦っているので、ルーティンというものが通用しないんです。常に変化する、不確定な水に対して自分が合わせていかなくてはいけないので、あえてゲン担ぎはしないようにしています。

思い返せば、2012年ロンドンオリンピックくらいまでは、縁起やゲン担ぎを気にしていたかもしれません。お守りを身に付けてみたり、朝ご飯のメニューを決めたり、右足から艇に乗ったり。でもどんなことをしても水に飲まれることもあれば、ひっくり返る時もあるんです。説明ができない、予測のつかないことが起きる競技なのだからと、ある時から吹っ切れて開き直るようになりました。

Interviewer
羽根田選手が考える、世界で活躍するトップアスリートの共通点とは?

羽根田卓也選手
勝負に対する執念でしょうか。他人に負けたくない、負けることが心底耐えられないというメンタルは、もしかすると傍から見れば、一種独特の癖がある人に映るかもしれません。でも、他者に流されることのない絶対に勝つ、強くなるという意思の強さと、その意思を貫き通す力がなければ、世界のトップシーンで戦うことはできないのだと思います。




 

強豪国や伝統国で戦い続けるためには、現地の言葉を話し、現地のことを深く知ることが重要だと思います。単にテクニック的なことを習得するだけなら、英語でも意思の疎通はできるでしょう。でもイズムやフィロソフィーのような根源の部分は、彼らの母国語を通さなければ共有することができないと思うんです。





高校卒業後、世界で戦うために単身でスロバキアに渡った羽根田選手。初めはチームメイトの輪に入れず疎外感を感じていたものの、独学でスロバキア語を習得することで、現地の人々の懐に入り込み、自ら道を切り開いていきました。

海外での挑戦を通じ、単にテクニックを習得するのみならず、言葉や文化を通して強くなるためのあらゆる要素を吸収。そのストイックさとクレバーさを発揮し、2016年リオデジャネイロオリンピックで見事、銅メダルに輝きました。

第三回は、愛知県出身の羽根田選手に、2026年に地元で開催される愛知・名古屋アジア競技大会に寄せる思いをうかがいます。大会を通して伝えたいスポーツの力や楽しみ方のヒントも満載です。


第三回 2023年11月28日(火曜日)掲載記事につづく