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2023年11月14日

【第一回】「水はあなたの友だち」。恩師の一言で、嫌いだったカヌーが大好きに!(2016年リオデジャネイロオリンピック カヌー・スラローム男子 銅メダリスト 羽根田卓也選手)


2016年リオデジャネイロオリンピックで、カヌー競技としてアジア人初となる銅メダルを獲得し、日本におけるカヌー競技の注目度を高めた羽根田卓也選手。世界トップクラスのアスリートとして活躍を続けながら、「ハネタク」の愛称で数々のメディアに登場し、地元・愛知県でのイベントに出演するなど、スポーツの普及・振興活動にも力を注いでいます。

少年時代から、愛知県豊田市を流れる矢作川でカヌーのトレーニングに励んだ羽根田選手。「最初はあまり好きではなかった」カヌーに対する思いが「大好き」に変わり、競技の面白さに引き込まれて世界の舞台へと羽ばたくまで全3回にわたってお届けします。第一回のインタビューでは、トップアスリートへの道を歩み始める礎となった、豊田市で過ごした少年時代の軌跡を追います。


 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

羽根田卓也選手
外で遊ぶことが大好きな、やんちゃな少年だったと思います。3人兄弟の次男として育ち、幼少期から家族で山や川など自然の中へ出かけては、体を動かす遊びを満喫していました。小学校に入ってからも、友だちといつも外で走り回っていましたね。

Interviewer
お父様もカヌー選手として国体出場経験を持つなど、スポーツ一家だったのですね。

羽根田卓也選手
父から選手時代の話を聞いた記憶はほとんどないのですが、家族でキャンプに行く時などはカヌーを持参し、川遊びの一環として家族で親しんでいました。

Interviewer
本格的に競技としてのカヌーに取り組み始めたのは、いつ頃ですか?

羽根田卓也選手
小学3年生の時です。それまでは弟と一緒に器械体操を習っていたのですが、ある時、器械体操が少し怖くなってしまい、辞めたいと父に相談しました。ただ羽根田家の暗黙のルールで、どんな種目でもいいからスポーツに打ち込まなければいけないという雰囲気があって、何もやらずにボーっと過ごすことは許されなかったんです。

その頃すでに兄は父のもとでカヌーのレッスンを始めていたので、僕も器械体操を辞めるならカヌーの道へ、という自然な流れで川に通い始めました。



 
Interviewer
初めてカヌーに乗った時のことは覚えていますか?

羽根田卓也選手
カヌーに乗ること自体は、幼い頃から川遊びとして経験していたので、まったく抵抗はなかったです。ただ、競技としてカヌーを始めるとなると、感覚も感情もまったく別物でした。水面でゆっくりカヌーを漕いで楽しんでいたレジャーとは違い、自分より背の高い激流に挑まなくてはいけない競技ですから、川の激流も怖かったし、周りの大人たちの厳しさに付いていくのが辛かったですね。

特に、僕が住んでいた豊田市の矢作川一帯はカヌーが盛んな地域で、練習場には大学生や社会人などトップクラスのカヌー選手が大勢集まっていました。日本代表に名を連ねるような方たちと同じ環境で練習をしていたので、小学3年生の僕にはすごくハードルが高くて、正直あまりカヌーが好きではなかったですね。

Interviewer
カヌー嫌いはいつ頃まで続いたのですか?

羽根田卓也選手
小学3年生からカヌーの練習を始めたのですが、6年生までずっと練習が億劫で「お腹が痛い」と仮病を使っては、何とか休めないものかとよく画策をしていました。でも、父以上に兄がすごく厳しくてストイックな人だったので、簡単には休ませてくれませんでした。甘えた態度を取ると兄に叱咤されるので、常に怯えていました(笑)。

もともとカヌー嫌いを払拭できない原因は2つあって、激流に向かっていく怖さや痛さと、寒さが耐え難かったんです。矢作川の日の当たらない渓谷での練習は、冬になると手が凍るように冷たくなります。激流に向かっていくと艇がひっくり返り、流されて溺れかけるような恐怖が積み重なってトラウマになっていきました。




 
Interviewer
どのようなきっかけで、カヌーの面白さに目覚めたのですか?

羽根田卓也選手
少年時代の僕を変えたのは、小学6年生の時に訪れた富山県の井田川での強化合宿でした。日本でも有数の激流で、僕は行く前から憂鬱な気分だったことを思い出します。戦慄しながら練習に突入し、案の定、ひっくり返ったり流されたりの連続で、ますますカヌー嫌いに拍車がかかりそうな気がしていました。

しかしそんな時、合宿で指導にあたってくれたドイツ人コーチに「水を怖がらないで。水はあなたの友だち。あなたを気持ちよく運んでくれるものだから」と声をかけられたんです。片言の日本語でしたが、僕に伝えたいという一心で、必死に語りかけてくれたそのストレートなフレーズが僕の心に深く刺さりました。

わずか1週間くらいの期間でしたが、彼から指導を受ける中で“水をつかむ”という爽快さを実感し、激流への恐怖心が一気に消え去りました。水の流れに乗ると、自分の力を使わずして気持ちよくカヌーが進んでいくという感覚を肌で感じることができたんです。それ以来、カヌーに乗ることを心から楽しめるようになりました。

ひとつの出会いを機に、自分が怖いと思っていたこと、苦手だったことが大逆転して大好きなものに変わる瞬間があるのだということを、初めて経験しました。



 
Interviewer
中学生以降、めきめきと頭角を現した羽根田選手。好きになることで結果にもつながったのですね。

羽根田卓也選手
小学6年生から中学生にかけては、自分の中でのカヌーが、レジャーから競技に変わるターニングポイントだったと思います。

激流の怖さを克服したことによって、自分自身のパフォーマンスも上がり始め、練習が苦にならなくなりました。おのずと試合でも結果が出せるようになり、競技における勝負の楽しさも感じるようになっていきました。

Interviewer
ご自身が考える、幼い頃から備えていたカヌー競技者としての適性とは?

羽根田卓也選手
もともと素質があったかどうかはわかりませんが、今思えば、結果的に小学1年生から3年生まで取り組んでいた器械体操が、功を奏した面もあったと思います。

カヌーという競技は力の強さや速さ、高さなどをストレートに競う種目とは異なり、バランス感覚や視野の広さ、激流を読む推察力などいろいろな能力を結集しないと勝つことができません。その点、様々な体の動きを要する器械体操を通して、頭で考えたことを身体の動きに変換する能力が自然と身に付いていたのだと思います。これが、カヌー選手が非常に重要視するコーディネーション能力のベースになったのではないでしょうか。






 

カヌーが好きになったきっかけは、小学6年生の時の合宿での出会いです。ドイツ人のコーチから「水を怖がらないで。水はあなたの友だち」と声をかけられたんです。片言の日本語でしたが、僕に伝えたいという一心で、必死に語りかけてくれたそのストレートなフレーズが、僕の心に深く刺さり、カヌーを楽しめるようになりました。






カヌー選手だった父親の影響を受け、幼い頃から水に親しんできた羽根田選手は、意外にも最初はカヌーが嫌いだったそうです。

そして、小学6年生の時のドイツ人コーチとの出会いをきっかけに“水をつかむ”爽快さを体験した羽根田選手。当時のことを振り返る言葉の端々から、練習嫌いの少年が、カヌー競技の寵児へと成長していく様子が目に浮かぶようでした。

第二回では、高校卒業後に単身で渡ったスロバキア時代のエピソードなどをインタビュー。スポーツにおける海外挑戦のパイオニアとして直面した苦労や、世界を舞台に戦う時の心境などをお届けします。


第二回 2023年11月21日(火曜日)掲載記事につづく