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  3. 【第二回】妹やライバルの存在に奮起し、オリンピック連覇を達成 (2004年アテネオリンピック・2008年北京オリンピック 柔道女子63kg級 柔道金メダリスト 谷本歩実さん)

2023年08月22日

【第二回】妹やライバルの存在に奮起し、オリンピック連覇を達成 (2004年アテネオリンピック・2008年北京オリンピック 柔道女子63kg級 柔道金メダリスト 谷本歩実さん)

2002年に釜山で開催されたアジア競技大会での金メダルを契機に、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックの2大会連続“オール一本勝ち”で金メダリストになるという、前人未到の快挙を成し遂げた谷本歩実さん。一見、順風満帆の柔道人生を歩んだかのように思われがちですが、その陰には様々な心の葛藤や自分自身との戦いがありました。

時に立ち止まり、時に迷いながらも、柔道に投影してきた美学や信念を貫くことができたのは、幼い頃から良きライバルであり、一番の理解者だった妹や、心を奮い立たせるライバルの存在があればこそ。

谷本さんのインタビュー第二回は、輝かしい戦歴と、その裏で繰り広げられていた知られざる物語をうかがいました。世界の舞台で戦い続けたアスリートならではのエピソードが満載です。


 
Interviewer
競技者人生の中で、印象に残っている大会や試合についてお聞かせください。

谷本歩実さん
夢だったオリンピックでの金メダルが、手の届きそうな目標に変わるターニングポイントとなったのが、2002年のアジア競技大会ですね。優勝を果たしたこの大会は、一戦一戦の勝ち方がすごく良かったということもありますし、日の丸を背負って日本代表として出場する気持ちや世界大会の雰囲気を体験することができ、大きな弾みになりました。
このアジア競技大会での良い感覚があったからこそ、その後のオリンピックでの金メダルへとつながったのだと思います。

Interviewer
それまでも数々の国際大会で経験を積んでいらっしゃいましたが、アジア競技大会は特別だったのでしょうか?

谷本歩実さん
通常の国際大会というのは、あくまでも個人と個人の戦いという意識があり、観戦している人や関心を寄せている人も、柔道好きや選手に縁のある人など、柔道関係者が大半です。でもアジア競技大会やオリンピックになると、国を挙げて応援してもらっているという感覚が強く、日本の方々の注目度や、メダルを獲った時の反響の大きさが桁違いでした。



 
Interviewer
アジア競技大会での金メダルという実績により、2004年アテネオリンピックに向けて、日本のファンからの期待感もおのずと大きくなっていきましたね。

谷本歩実さん
そうですね。2004年アテネオリンピックに臨む時は、プレッシャーしかなかったです。選手村に入ってからは、緊張しすぎて畳の上に上がれないほどでした。日本の皆さんからの期待や応援、オリンピックで金メダルを獲得するという幼い頃から抱き続けてきた自分の夢。すべてを背負い込んでしまい、とても平常心ではいられませんでした。
オリンピックには魔物が住んでいるとよく言われますが、まさにそれを体感した大会でしたね。

Interviewer
そのプレッシャーに打ち勝ち、金メダルを獲得できた理由はどこにあったのでしょうか?

谷本歩実さん
恩師の言葉など周囲の方の様々な支えに加え、妹の存在がとても大きかったですね。私の柔道人生において、先が見えなくなったり、停滞したりした時、いつもスイッチを入れてくれたのは妹でした。
アテネの選手村に入って畳に上がれない私を見かねて、妹が手を取り、畳の上まで引き上げてくれたんです。妹と組んで、乱取りという実践的な練習をしたのですが、プレッシャーに押しつぶされそうな私を妹が思い切り投げてくれて。その瞬間「私、何してるんだろう!」って目が覚める思いでした。



 
Interviewer
妹さんと二人三脚の柔道人生だったのですね。

谷本歩実さん
妹がいなければ、今の私はないと思います。実業団に入ったばかりの頃も、実はトレーニングに身が入らない時期があったんです。練習が休みになると、私は気晴らしに寮を出て遊びに行くのですが、帰ってくると隣の部屋でトレーニングウエアを着た妹が、汗びっしょりになって、しくしく泣いているんです。「私も勝ちたい、お姉ちゃんみたいになりたいのに…」って。
妹の一言で闘争心に火が着き、奮起することができました。小学生の頃から一緒に柔道に打ち込み、共に戦ってきた妹は、私の柔道人生にとって欠かすことのできない存在です。

Interviewer
アテネに続き、2008年北京オリンピックでも金メダルを獲得されました。

谷本歩実さん
私の柔道人生の集大成となる大会でした。
当時の柔道というのは、しっかり組まない、ポイントを狙いにいくといったような、戦略的に勝っていく柔道が重要視されていて、一本勝ちにこだわる私のようなスタイルは、バッシングを受けることもありました。
しかし、2008年北京オリンピックへの出場を目指している時期に、ジュニア時代から10年にわたりライバル関係にあったフランスの選手から、「これからは真のライバルとして正々堂々と戦おう」と“ライバル宣言”されたんです。この言葉をきっかけに、「柔道の本質である一本で勝つ、私らしいスタイルで挑もう」と改めて決心ができました。
彼女と戦うこと、そして美しい一本を目指し、技を磨いて臨んだ大会。私たちは互いに決勝まで勝ち進み、いよいよオリンピックの決勝戦で対戦を果たすことに。
ライバルである彼女と、力と力でぶつかり合うことができる、自分が磨いてきた技術を試すことができると、ワクワク感に満たされていたことを覚えています。
決勝という大舞台で、宿命のライバルである彼女に勝って優勝できたことは、私の柔道人生における誇りになりました。



 
Interviewer
2大会連続オール一本勝ちという快挙を果たし、世界へ日本の柔道をアピールされました。

谷本歩実さん
アジア競技大会やオリンピックに出場すると、スポーツと向き合う選手たちの多様な価値観が見えてきます。国によっては優勝した瞬間、家族を含めて一生の豊かな暮らしが約束されるような選手もいますし、兵役が免除されるケースもあります。生活、家族、自由、政治…。選手たちはそれぞれの思いや背景を背負って挑んでいます。
そんな中、私が柔道を通して成し遂げたかったことは、柔道の本質や醍醐味を届ける、発信するということでした。相手としっかり組み、ポイント稼ぎではなく、あくまでも一本勝ちを狙う日本が誇るべき伝統的な柔道の魅力、美しさを伝えたいという思いです。
私がアテネと北京を通じて一本勝ちにこだわり、金メダルを獲得できたことで、私自身のアイデンティティを表現することができました。そして、貫いてきた信念が間違いではなかったということを証明できたことは、勝利以上の喜びと達成感を私にもたらしてくれました。

Interviewer
谷本さんから見て、世界の舞台で勝つことのできる王者の共通点、チャンピオンの条件とは?

谷本歩実さん
第一の共通点は、その競技が大好きで愛していること。そして、チャレンジャーであり続けるということです。第一線で活躍するアスリートの方々は、常に何かに挑戦しています。たとえディフェンディングチャンピオンだとしても、前人未到の自分自身の記録に挑んでいるのです。
私自身も2004年アテネオリンピックで優勝した翌日には、コーチから2連覇を目指すのかどうか問われ、挑戦することを即決しました。チャレンジしようという意欲が湧き、挑戦することを楽しむ心が整わない限り、王者として戦い続けることはできないのです。




 

迷い、悩み、苦しみながらも、幼少期に抱いた“美しい一本”を追い求め、信念を貫いて2大会連続金メダルを獲得できたオリンピック。柔道の醍醐味を発信できたという達成感に満たされました。




妹の支えで、金メダルを獲得できた2004年アテネオリンピック。ライバルとの約束を胸に、一本勝ちにこだわって戦い抜くことができた2008年北京オリンピック。華やかな戦歴の陰にある、トップアスリートならではの様々な人間ドラマに心を打たれました。

第三回は、愛知県で生まれ育った谷本さんに、地元で開催される2026年愛知・名古屋アジア競技大会についてうかがいます。世界を舞台に戦ってきた谷本さんならではのアイデアや、アジア競技大会を通じて発信したい思いなど、スポーツを通して広がる明るい未来に胸が躍ります。


<第三回 2023年8月29日(火曜日)掲載記事につづく>