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2023年08月15日

【第一回】美しい“一本”に憧れ、向上心を抱き続けた子ども時代 (2004年アテネオリンピック・2008年北京オリンピック 柔道女子63kg級 柔道金メダリスト 谷本歩実さん)

オリンピックや国際大会で歴代の日本選手が数々のメダルを獲得するなど、日本の“お家芸”の一つとして親しまれる柔道。中でも、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックと、2大会連続オール一本勝ちで2連覇を達成するという偉業を成し遂げたのが、谷本歩実さんです。

現在は、大学講師や公益財団法人日本オリンピック委員会理事といった様々な立場から、スポーツの普及やアスリートのサポートなど、スポーツ界の発展を目指して多角的に尽力されています。

畳の上で見せる勝負師としての鋭い視線とは打って変わり、周囲の人々の心を一気に明るくしてくれる、晴れやかで人懐っこい笑顔を見せる谷本さん。

愛知県名古屋市南区に生まれ、安城市で育った谷本さんは、どのように柔道と出会い、のめり込んでいったのでしょうか。第一回は幼少期の思い出や、スポーツの素晴らしさを教えてくれた父親との絆について語ってくださいました。


 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

谷本歩実さん
柔道が似合う女の子でした。スポーツ全般、身体を動かすことが大好きだったのですが、中でも性格的に格闘技向きだったようです。アニメの影響もあり、強くて優しい人に対する憧れが強く、闘争心に満ちた子どもでした。

Interviewer
柔道を初めて知ったのは何歳くらいですか?

谷本歩実さん
小学校3年生のときです。戦いごっこが好きだったのに、いつしか男の子に勝てなくなってきて、どうしたらもっと強くなれるか、強い子に勝てるかと父に相談したんです。すると父が、ちょうど郵便受けに投函されていた道場のチラシを私に差し出して、「柔道やってみないか」と勧めてくれました。

球技など他の競技よりも、私には柔道が向いているという直感があったようです。父は地域の少年野球チームで監督をやっていたこともあり、子どもの能力を見抜くことに長けていたのだと思います。



 
Interviewer
柔道を見学し、体験したときはどのような印象でしたか?

谷本歩実さん
女の子がほとんどいないという不安感を抱き、迫力に圧倒されたことを覚えています。でもルールに則って、正々堂々と取っ組み合いができるということに心を惹かれて(笑)、「やってみたい!」と思いました。

Interviewer
柔道と並行して陸上競技にも打ち込んでいたそうですね。

谷本歩実さん
はい。小学校5年生のときに愛知県の陸上競技大会で走り幅跳びに出場し、優勝しました。6年生で優勝すると、愛知県代表として国立競技場で開かれる全国大会に出場する権利が得られるので、6年生でも優勝できるよう、一生懸命練習に励んでいました。

でも実は、2連覇をかけて臨んだ6年時の大会当日、お弁当を食べている間に試合時間に遅刻して不戦敗というお恥ずかしい結果で終わってしまったんです。その出来事を機に、陸上には縁がないのだ、これからは柔道中心で頑張ろうと気持ちを切り替えました(笑)。

Interviewer
その後は柔道一筋だったのですか?

谷本歩実さん
地元の中学校に柔道部がなかったので、学校では陸上部に所属しながら、大府市にある道場へ週2回通いました。妹と一緒に道着を着て電車に乗っていたので、よく「頑張ってね」と声を掛けていただきました。

Interviewer
他の競技ではなく、柔道に魅了されたのはどのようなポイントだったのですか?

谷本歩実さん
やはり、柔道の最大の魅力は一本勝ちだと私は思っています。芸術的な一本というのは本当に美しくて、その技を極める、技術を磨くという職人気質の柔道スタイルに引き込まれました。その思いは、後の柔道人生を通しても揺らぐことはなく、私は「一本で勝つ」という美学を貫き通しました。

性格的な適性以外にもう一点、喘息持ちだったという体質も関係していたのかもしれません。幼い頃から喘息を持っていたので、陸上競技やトレーニングをしていても発作が起きることがしばしばありました。柔道であれば、一本さえ取れれば試合が終わるので、発作が起きる前に相手を投げれば良いという意識はありましたね。



 
Interviewer
高校時代は柔道部に所属されたそうですが、稽古に没頭できる環境は整いましたか?

谷本歩実さん
柔道部自体はあったのですが、それほど強豪校ではなかったんです。顧問の先生に「もっと練習量を増やしてください」と直談判したら「自主練習に励むように」と言われてしまって。当時はすごく歯痒い思いをしました。

でも今思えば、当時の柔道に対するハングリー精神や、環境に対する満たされない気持ちがあったからこそ、「上手になりたい」、「もっと練習したい」という欲や向上心を持ち続けたまま、大学生になれたのかもしれません。質の高い練習や効率的な練習方法について自分なりに工夫するという力を、知らず知らずの間に身に付けることができました。

実際、強豪校でしのぎを削る中学生や高校生の中には、厳しい練習の末に柔道へ嫌悪感を抱いたり、燃え尽きたりしてしまう人もいます。でも、私は伸び伸びとした環境で、柔道の楽しさだけを感じながら、理想と憧れを膨らませた状態で柔道の道を進むことができました。



 
Interviewer
トレーニング方法について、お父様からアドバイスや指導を受けることはあったのですか?

谷本歩実さん
道場や試合への送迎は熱心にしてくれましたが、一切口出しはしなかったですね。父は、ただ正座をしたまま、じっと練習や試合を見つめていました。逆にその沈黙や真剣な眼差しから、父の本気度が伝わってきました。

柔道に関しては何一つ口を挟まなかった父ですが、大相撲やプロ野球、マラソンやプロレスなど一流のスポーツを観戦する機会をたくさん与えてくれて、とても感謝しています。あるときは競馬場に行き「馬の走りを見てみなさい、この地響きを感じてご覧なさい」と言われて、私はずっと馬を見ていました。

ちょっと変わった教育だとは思いますが、トップクラスの競技者たちの気迫や熱量を幼い頃から目の当たりにできたことは、貴重な経験でした。アスリートとしての根底にある精神的な土台や気持ちの高め方など、多くのインスピレーションを得られたと思っています。

そして、父が常に言い続けていた「ライバルにも応援される選手になりなさい」という言葉も、人間形成の上で大切な根源となりました。どんなときも対戦相手への敬意を忘れない。ライバルというのは敵対関係ではなく、同じ競技を愛する仲間なのだということ、そして生きていく上での人間力の大切さを父から教わりました。



 

柔道への適性を見抜き、一流のスポーツ競技を観戦する機会を与えてくれた父。幼い頃から、トップアスリートたちの息遣いや気迫を目の当たりにした多くの経験は、確実に潜在意識の中に息づき、アスリートとしての源となりました。





父親の薦めもあり、柔道の道を歩み始めた谷本さん。スポーツ界における一般的な英才教育とは程遠い、わずか週2日の道場通いから、日本が誇る金メダリストへ上り詰めていった谷本さんを突き動かす原動力となったのは、「もっと強くなりたい」、「もっと練習がしたい」という貪欲さと柔道へ対する愛情だったようです。

第二回は、国際舞台での華々しい活躍を中心にインタビュー。2002年釜山アジア大会での金メダルを皮切りに、日本中を歓喜の渦に巻き込み、歴史に名を刻んだオリンピック2連覇という輝かしい成績を収めるまでの苦悩や裏話などをお届けします。


<第二回 2023年8月22日(火曜日)掲載記事につづく>