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2023年06月13日

【第一回】「負けたくない」の一心で練習に打ち込んだ少女時代(2016リオデジャネイロオリンピック レスリング女子69kg級 金メダリスト 土性沙羅さん)

世界を舞台に活躍する名選手を多数輩出するなど、愛知県とゆかりの深い競技の一つといえば、レスリングが挙げられます。なかでも日本のメダルラッシュに沸いた2016年のリオデジャネイロオリンピックで、見事金メダルに輝いたのが土性沙羅さんです。
高校、大学時代を愛知県で過ごした土性さんが、どのようにメダリストへと駆け上がっていったのか。そして引退した今、スポーツに寄せる思いとは?
土性さんの本音に迫る3回のインタビュー。第一回は、レスリングとの出会いや練習漬けの厳しい日々を振り返ります。




 
Interviewer
幼い頃はどのようなお子さんだったのですか?

土性沙羅さん
すごく引っ込み思案な性格で、図書館で本を読んだり、一人で机に向かって絵を描いたりしている子どもでした。外で遊ぶことが少なかったので、体を動かすことも得意ではありませんでした。

Interviewer
そんな土性さんがレスリングと出会ったきっかけは?

土性沙羅さん
小学校1年生が終わろうとしていた頃、「少しは運動をさせなければ」と思い立った両親に薦められて、2歳下の弟と一緒にいくつか運動系の教室へ見学に行ったんです。柔道、合気道、空手など武道系ばかりの中で、最後に訪れたのがレスリング教室でした。
他の教室に比べて少人数で、見学したときはちょうどマット運動や体操をしている時間だったこともあり、みんなが楽しそうに見えたんです。弟とも意見が一致して、2人でレスリング教室に通うことにしました。

Interviewer
教室に通い始めてからはどのような心境でしたか?

土性沙羅さん
実は見学に行ったレスリング教室は、女子レスリング界のレジェンド的存在でもある有名選手のお父さんが主宰する教室だったんです。
実際に習い始めると、あまりに辛い練習ばかりですぐに「辞めたい!」と思いました。でも先生のあまりの厳しさから「辞めたい」という一言も言い出せぬまま、泣く泣く通っていましたね(笑)。



 
Interviewer
毎日どのくらい練習していたのですか?

土性沙羅さん
学校から帰るとすぐに支度をして、練習場に通っていました。年末年始に少し休みがある程度で、年間360日くらい。ほぼ毎日練習していました。
当時はショートカットにパンツスタイルで、おしゃれをしたいと思う暇もなかった気がします。
学校帰りに遊ぶ約束をしている友だちのことがすごく羨ましかったですね。

Interviewer
お父様もレスリング選手だったそうですね。アドバイスはありましたか?

土性沙羅さん
父も高校時代までレスリングをしていましたが、それほど助言はなくて、どちらかというと母の方が厳しかったですね。教室から30分以上かけて車で帰るのですが、帰路の車中でよくお説教されていました。気合いが入っていない私の態度が歯痒かったのだと思います。

Interviewer
そんな厳しい状況でも、練習を続けられた強さの源は? 

土性沙羅さん
最初は、試合に出ても全然勝てない時期が続きました。弟は始めてから数カ月で全国優勝を果たすなど、しっかり結果を残していたのですが、私は1回戦も勝てない。厳しい練習に耐えているのに「なんで勝てないんだろう」とすごく悔しい気持ちでした。
でも1年くらい経った頃、三重県の大会で優勝したことをきっかけに「もっと勝てるようになりたい!」と心の底から思うようになりました。初めて金メダルをもらったときの喜びは、今でも覚えています。



 
Interviewer
レスリングにのめり込んでいったきっかけを教えてください。

土性沙羅さん
転機になったのは、小学校4年生のときに観たアテネオリンピックだと思います。レスリング教室の大先輩が出場し、金メダルを獲得する様子をパブリックビューイングで観戦していました。
「自分も頑張ればあの舞台に立てるかもしれない」。そんな夢を抱かせてくれる方が身近にいたことこそ、私にとって最大の幸運だったと思います。

Interviewer
レスリングの魅力とは、どのような部分にあるのでしょうか?

土性沙羅さん
他のスポーツとの最大の違いは、自分の体一つで戦うこと。武器や道具もなく、柔道や相撲のように相手の着衣を利用して技をかけることもない。引き分けがなく、必ず勝ち負けがつくことも魅力の一つです。
また、力だけではなく相手との駆け引きや読み合いなども必要です。頭脳戦の側面もあり、奥が深いスポーツなんですよ。

Interviewer
中学、高校時代は世代ごとに数々のタイトルを獲得し、輝かしい成績を残されました。

土性沙羅さん
高校からは親元を離れて、愛知県にあるレスリングの強豪校に進みました。でも高校3年生の頃にスランプに陥った時期があったんです。
けがをしているわけでもないのに、突如タックルの入り方がわからなくなってしまった。「今までどうやってタックルしていたんだろう?」と悩み、まったく勝てなくなってしまいました。

Interviewer
どのように立ち直ったのですか?

土性沙羅さん
ひたすら練習しました。感覚を思い出すまで反復練習。そうしたらいつの間にか調子が上向いてきて、全国大会で優勝したことで自信を取り戻すことができました。



 
Interviewer
レスリングを続けられた一番の原動力は何だったのでしょうか。

土性沙羅さん
根っからの負けず嫌い精神だと思います。もともと内向的な性格で、人と争うことは苦手でしたが、レスリングのことになると、たとえ練習であっても相手が上級生であっても、絶対に負けたくないと思って最後まで食らいついていました。
1本取られても諦めずに「もう1本お願いします!」と、勝つまで練習を辞めなかった。負けたくないという気持ちだけは人一倍強かったと思います。
そして何よりも夢を持てたこと。
小学校のとき、金メダルを勝ち取った先輩に憧れ、「自分もオリンピックで金メダルを獲りたい」という強い信念が私を突き動かしたのだと思います。


 

どんなに辛くても練習に耐えられたのは、「負けたくない」という気持ちがあればこそ。「私も金メダルを獲りたい」という夢を抱かせてくれる憧れの存在が身近にいるという環境にも恵まれていました。




運動とは無縁に思えた土性さんの少女時代。厳しい練習に耐える中で、レスリングを通して勝つ喜びに引き込まれていったそうです。持ち前の負けず嫌い精神で、日本を代表する選手へと飛躍を遂げていった足跡から、何事も諦めずに立ち向かうことの大切さを実感しました。
次回は2023年6月20日(火曜日)に掲載予定です。世界で戦い続けたトップアスリートならではの経験や、リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得した秘話など、今だから聞けるお話が満載。お楽しみに!


第二回 2023年6月20日(火曜日)掲載記事につづく>