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  3. 【第三回】乗り越えた大病と、これからの目標(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)

2023年03月31日

【第三回】乗り越えた大病と、これからの目標(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)

伊藤則子選手が、様々なプレッシャーや葛藤を乗り越えて勝ち取った東京2020パラリンピックでのバドミントン ダブルス銅メダル。
今回のインタビューでは、2026年に愛知・名古屋で開催される第5回アジアパラ競技大会を見据え、アジアパラ競技大会の醍醐味や、私たちが大会をどのように楽しめば良いかについてお話を伺います。


※写真撮影時のみマスクを外しています。


 
interviewer
2014年仁川で開催されたアジアパラ競技大会のエピソードをお聞かせください。

伊藤選手
2014年の仁川大会ではじめて選手村を経験しました。
卓球やビリヤードができる娯楽ブースがあり、一緒に出場していた選手と選手村を回って楽しみました。人生初の選手村は、回るだけでもワクワクしました。
試合が終わったあとに街に出て韓国の焼肉を食べに行くなど、当時はプレッシャーや緊張もなかったので今よりも大会を楽しんでいたと思います。

interviewer
2018年にジャカルタで開催されたアジアパラ競技大会はどのような印象でしたか?

伊藤選手
ジャカルタではバドミントンが国技ということもあり、会場の応援がとても盛り上がっていました。
会場も聖地と呼ばれている場所での開催ということもあり、審判の声やシャトルの音が聞こえないほどの歓声で、驚きました。
自国の選手への応援だけでなく、好プレーが出たら国関係なく盛り上がっていたことが印象的でした。海外の方から応援されることはなかなかないので、貴重な体験で嬉しかったです!


 
interviewer
アジアパラ競技大会ならではの楽しみ方はありますか?

伊藤選手
各国の応援スタイルの違いや、各国のコーチ・選手たちが互いに励まし合う姿が観られるのは面白いと思います。

例えば、開催都市によっては掛け声があったり、応援で盛り上げようという地域があったりします。

バドミントンは世界的に見てもアジア地域で盛んに取り組まれており、強豪国揃いです。
従って、アジアパラ競技大会では、世界的にもトップレベルの試合が展開されます。
特にバドミントンを国技としているマレーシア・インドネシアの方々の応援は熱心で、独特の盛り上げ方をしてくれます。

interviewer
2026年、第5回アジアパラ競技大会が愛知・名古屋で開催されます。
伊藤選手のふるさとである愛知・名古屋で開催されることの意義についてお考えをお聞かせ下さい。

伊藤選手
私が名古屋市出身ということもあり、地元で開催されることを、「誇らしく・自慢したい気持ち」になりました。
出場する選手達にも愛知・名古屋の良さを知ってほしいですし、地元の方々にも会場に足を運び、アジアの頂点を競う選手達のプレーを実際に観ていただきたいです。
どの競技もそうだと思いますが、映像で観るのと実際に観るのでは全く違いますし、アジアパラ競技大会ならではの空気を楽しんでいただきたいです!


 
interviewer
私たちはアジアパラ競技大会にどのように関わっていけばよいでしょうか。

伊藤選手
実際に観ていただくのが一番ですが、大会に行けない方や、知らなかった方々にも情報が届くようにSNS等を通じて発信していただきたいです。多くの方に楽しんでもらい、皆さんで盛り上げる大会にしていきましょう!
観る人、支える人、プレーする人、それぞれが主役になって大会に関わることが、成功のポイントだと考えています。

特に、選手目線からは、会場ボランティアの皆さんからの力が、パフォーマンス発揮の大きな原動力になります。選手を支えることができるこのチャンスに、ぜひ参加していただきたいと思います。

interviewer
伊藤選手がアジアパラ競技大会に期待することについて教えてください。

伊藤選手
バドミントンは、東京2020からパラリンピックの正式競技になりました。
パラリンピックの正式種目であるか否かで、大きく環境が変化したように感じます。競技人口も増えてきましたし、これからは大会の規模等も変化していくのではないかと思っています。
そして、さらに2026年に開催されるアジアパラ競技大会をきっかけに、さらに良い方向に進化することを期待しています。


 
interviewer
選手として、今後の目標を教えてください。

伊藤選手
現在は、2024年開催のパリパラリンピック出場を目指して練習をしています。選手としてこの先どうなるかは分かりませんが、地元開催の第5回アジアパラ競技大会には、なんらかの形で参加させていただきたいです。

interviewer
パリパラリンピックを目指すことは、東京2020出場の際には決めていたのですか?

伊藤選手
実は、東京2020パラリンピックで現役を終えるつもりでいました。
現役続行の意思を固めたのは、東京2020で良い結果が出たことにより、もっと上を目指したいという気持ちが芽生えたからなのです。

interviewer
最後に、今後の夢をお聞かせいただけますか?

伊藤選手
実は、東京2020パラリンピックを目指すため競技に専念しようと決意した矢先に乳がんが発覚し、闘病生活を経験しました。
私は先天的に脚に障がいがあったことから「これ以上病気等で身体の一部を失うことはない」と思っていました。オペ室に入る直前に「なぜ今なのだろう」と悔しさで涙が出たことを覚えています。
しかし、東京2020に復帰したいという思いが原動力になり、闘病生活を乗り切ることができました。もちろん、家族の支えやトレーナーなど周りの支えも大きく、バドミントンがあったからこそ、今の自分があると思っています。

このようなバドミントンの魅力やスポーツを通じた経験談の共有だけではなく、がんの早期発見の大切さも私が伝えていくべきことのひとつかなと思っています。



 

困ったときには支えてくれる方が必ず現れる、ご縁に恵まれた人生だと思っています。 だからこそ、その恩返しのためにも、これからも私ができることを精一杯頑張っていきたいです。






「競技・人生を支えてくれたのは、数多くの出会い」と語ってくれた伊藤選手の感謝に満ちた表情がとても強く印象に残っています。
その恩返しとして、競技生活を続けること・自身の経験を語ること・できることに全力を尽くすという、その思いには深く感銘を受けました。
第5回アジアパラ競技大会を一つのきっかけに、共生社会の実現にむけて、私達も支えあいの精神を常に意識すべきだと思いました。


<第三回 完>


【第一回】バドミントン競技との出会い(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)
【第二回】東京2020パラリンピックでのメダル獲得(東京2020パラリンピック バドミントン 女子ダブルスSL3-SU5クラス 銅メダリスト 伊藤則子選手)
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